2008年10月16日

40年目の風・・・中野「ブリック」

ブリック昭和43年10月15日、20日前に二十歳になったばかりの若者が、数日前に採用されたあるバーに初出勤した。初日と言うことで早く来すぎたため、面接で会った店の人は誰も来ていない。店内はカウンターの付け替え工事が行われていて、大工の棟梁がこちらをちらっと見ただけ。どうしていいかわからず、店の片隅に立ちつくしていた・・・。

そして、40年を経た平成20年10月15日、その若者は今ではチーフバーテンダーとして、やわらかな笑顔をたたえてカウンターの中に立っている。あの日からずっと、この場に立ち、客と接してきた。「その頃のお客さんは、どんなウィスキーを飲んでたの? だるま(オールド)かなんか?」と今の客が尋ねる。「だるまなんて高級品でなかなか飲めませんでしたよ。よくてホワイト、たいていはレッド、トリスですかねえ。」「へぇ〜、レッドがあったんだ。」

「トリスはいくらだったの?」・・・会話は続く。「トリスが60円、ホワイトが80円ですね。ビールが大瓶で240円、ジンフィズなんかのカクテルが150円でしたね。」「ほー、60円ですか。10杯飲んでも600円だね。つまみはどんなのがあったの?」「ポテトチップスやナッツですね。80円でした。今あるメニューですと、チーズ、オムレツ、カニサラダ、ポテトサラダ、マカロニサラダ、生野菜なんかですね。当時はバーで油ものは嫌われましたから。」

「ふむふむ、ということは、ポテチをつまみに、トリスを5杯飲んで380円。安いなあ。」「当時の物価の感覚からしても、安かったでしょう。」「だとすると、ビールがやっぱり高いかなあ・・・」・・・そういえば、たまたまテレビでやっていた懐かしの昭和40年代の映画だったと思う。父親が息子(確か加山雄三)に金を借りに来るのだが、断られてしまう。で、父親がこんな意味のことを言う。「毎日、ビールをのむような生活をしているのに、なぜ金を貸せないんだ。」みたいな。ビールは贅沢品だったんだなあ。

「オムレツ(400円)、お願い」と注文が入る。「ところで、オムレツは当時いくら?」「150円ですね。」「案外、高いね。」「卵って、贅沢品でしたからね。私が子どもの頃は、早く卵を一つまるまる食べられるようになりたいと思ってましたから。朝は、一つの卵を親子三人で分けて食べるような時代でしたからね。」「卵って、昔と同じ値段で売ってるらしいからね。」

「昔のお客さんって、どんな感じだったの?」「そうですね。昔の大人は、本当に大人らしい大人でした。一年350日くらいおいでになった、主みたいなお客さんがいたんですが、その方なんて、ほんとうに落ち着いて堂々とした飲みっぷりでしたね。でも、今考えてみると、40代半ばだったんですね。今の40代半ばってまだ、若いというか・・・。」

後ろの棚に一枚の写真を貼ったボトルがある。40歳くらいのビジネスマンが照れくさそうにグラスをあげている、そんな写真だ。昨年、一人の白髪の客が入ってきて「懐かしいな。」と呟いた。その時、そのお客さんを見るなり、引き出しからこの写真を即座に取りだし、「お久しぶりですね。おいでになった時渡そうと思って、あの時の写真を引き出しの中に入れておいたんです。昭和60年の写真ですよね。どうぞお持ちください。」とこのベテランバーテンダーは、にこやかに言ったものだ。その客は、「そう、あの時の写真だ・・・そう。」と言葉にならない感動を全身で表していた・・・そして、「これからは、また、通うから。」と角瓶に写真を貼り付けたのだ。

様々な客がこのカウンターの前に座り、そして、去っていった。毎日通い続け、定年退職の日を最後にぷっつりと来なくなってしまった客もいる。「みごとな去り際でしたね。」といいながらも、「でも、できることならもう一度お会いしたいです。私がここに立った最初の日からここで飲んでいらっしゃいましたから・・・。」

この季節は、ドアを開け放ち、布のすだれが掛けられている。涼しい風が店の中を通り抜ける。そのたびに緩やかにすだれが舞う。40年目の風がカウンターにも吹き込み、新たな客が入ってくる。「いらっしゃいませ。カウンターにどうぞ。」・・・いつもの笑顔の向こうに、40年前、この場所に入ってきた若者の姿が見えたような気がした。


この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
素敵な空間と時間ですね。
私は1964生まれですから、小さい時は当然BARは大人の空間で縁もゆかりもなかったのですが、リアルな話が聞こえてくると興味深いです。
美味しいものとお酒が好きだった私の叔父を通して、60年代の酒場を感じていたように思います。
今日、私は横須賀のHONEYBEEというハンバーガーショップに行ったのですが、古いダイナーの雰囲気がかっこ良かったです。
未来が明るく、ゆったりしていた時代って、とても魅力的に思えます。いちがいにそう言いきることもできないかもしれませんが。
Posted by fatricefarm at 2008年10月20日 00:15
居酒屋探偵DAITENです。

よい話ですね・・・本当に。
これぞ、「寄り道」さんの文体という感じです。
勉強になりました。

Posted by 居酒屋探偵DAITEN at 2008年10月21日 16:36
fatricefarmさん、こんにちは。
横須賀HONEYBEE!いいですねえ。
ハンバーガーはビールですね。クアーズがいいなあ。
カウンターで、のんびりするのもいいです。
これからも、よろしくお願いします。
Posted by 寄り道 at 2008年10月22日 15:31
DAITENさん、いつもありがとうございます。
古いバーには、物語がありますね。
それが、バーの魅力です。
昔の値段覚えるの大変でした(笑)

Posted by 寄り道 at 2008年10月22日 15:33
中野は私のホームです。寄り道さんとはなかなかお会いできないかもしれませんが(笑)
バーはあまり入ったことがないけれど ちょっと寄り道してみたい気分です。
物語は今も進んでいるんですね・・・
Posted by nae at 2008年10月23日 23:04
「昔の値段覚えるの大変でした(笑)」

         ↓

       (^−^)
Posted by cocomoon at 2008年10月24日 06:14
naeさん、こんにちは。
> 中野は私のホームです。
それでは、近いうちに会えそうですね。
> 物語は今も進んでいるんですね・・・
いろいろな物語が進行しています。それに触れることができるのは幸せです。
Posted by 寄り道 at 2008年10月24日 13:17
cocomoonさん、どうも!
ちなみに、中野の居酒屋「赤ひょうたん」の当時の値段です。
2級酒1合(60円)、串カツ(30円)、冷や奴(30円)・・・。
ブリック、赤ひょうたんとハシゴしても、1000円札一枚で足りますね。
Posted by 寄り道 at 2008年10月24日 13:24
ブリックさんは、昔ボトルをキープして
いたころもありましたが、そのご引越し
したこともあって足が遠のいてました。

でも、また中央線沿線に戻ってきたのを
機会に、ちょちょく通おうかと思っています。

好きなお店のひとつですねー

よく昔のお値段記憶できましたね、スゴイ(笑)
Posted by こむこむ at 2008年10月28日 09:26
寄り道さん,はじめまして。
40年の時の流れを見事に表現され,不覚にも涙してしまいました。
自ブログで取り上げさせていただこうと逡巡は,いたしましたものの,
なんだかもったいなくて,この記事,自分の中に仕舞いこんでおります。
ありがとうございました。
Posted by hideandseek at 2008年10月28日 21:08
寄り道さん はじめまして!
いつも更新をまだかまだかと楽しみにしています

中野はついこの間まで毎日通った街です
前職の本社がありまして ブリックまでは徒歩3分というところでした

親子ほど歳が離れた部下をつれてゆくのにベストな店でした

トリハイはいつ飲んでも絶品ですね!
Posted by ねずみおやじ at 2008年11月02日 20:56
毎日通っていてもなかなか近くは入らないものです
少し気になりました
Posted by 笛吹き at 2008年11月11日 17:42
寄り道様。お久しぶりです。

40年目の風。

変わらないものが人に与える安心感が身にしみます。

変わらないための膨大な努力も。毎日の積み重ねって,偉大です。。。

私も,こういう人になりたいです。
Posted by lara at 2008年11月26日 21:18
時々ブログに来させて貰っています。
最近、更新されておられないようですね。
御忙しいのでしょう。
楽しみにしておりますので、また更新してください

                   では。
Posted by とほお at 2008年11月30日 15:03
こむこむさん、こんにちは。

ブリックは早い時間もいいですね。
ラジオの相撲中継なんかを聞きながら、のんびりできます。
昔の値段のことですが、酔いが次第にまわってくるので、ちょっと大変でした。
Posted by 寄り道 at 2008年12月10日 15:49
hideandseekさん、こんにちは。

やる気の出るコメントありがとうございます。
自分も飲みながらしみじみとしてしまいました。
何十年も通っておられる常連さんもいるし、すごい店です。
Posted by 寄り道 at 2008年12月10日 15:53
ねずみおやじさん、こんにちは。

ブリックまで3分とは・・・いいですねえ。
寄らずにはいられないですよね。
レモンピールの効いたトリハイには癒されます。
Posted by 寄り道 at 2008年12月10日 15:56
laraさん、こんにちは。

そうですね!安心感です。
こればっかりは、積み重ねしかないです。
自分も、樹齢何百年の杉のような安心感を与える人になりたいです。
Posted by 寄り道 at 2008年12月10日 16:00
笛吹きさん、こんにちは。

毎日近くを通られるのですね。
ぜひ、寄ってみてください。
たとえ30分でも、ゆっくり飲むと癒される店です。
Posted by 寄り道 at 2008年12月10日 16:01
とほおさん、こんにちは。

励ましていただいて、ありがとうございます。
時々、尻をたたいていただくと、更新する気になるようです。
がんばります。

Posted by 寄り道 at 2008年12月10日 16:03
ビールが高いとありますが、確かに昔は日本酒より高かったようです。最近本屋で昔の東京の風景を集めた写真集が売られてますが、そこに収められている酒場の看板に、値段表があって、それを見るとビールはやはり高いです。一番安いのは焼酎(多分甲でしょう)、ついで日本酒、そしてビールという感じだったと思います。日本酒、焼酎の質がいかほどのものなのかは疑問がわきますが、とにかくそういう時代だったようです。また、昔は「生ビール」がありませんでしたね。椎名誠さんの文にもそのような事が書かれてありました。
Posted by とおりすがり at 2009年07月12日 00:24
とおりすがりさん、こんにちは。

「生ビール」はいつごろから居酒屋の定番メニューになったんですかね。最近では、瓶ビールを注文すると、なんとなく不機嫌になる店主の方もいますよね。

「とりあえずビールね。」というベタ表現がありますが、むしろ、店に入るなり「生ちょうだい。」っていう人の方が多いような気がします。
Posted by 寄り道 at 2009年08月06日 14:08
毎日雨ですが楽しいブログお待ちしています。
Posted by そんぽ24 評判 at 2012年07月08日 08:31
いつも楽しいブログですね(o^^o)
Posted by MUFGプラチナカード at 2012年08月03日 19:42
ブログ更新楽しみに待っています。
頑張ってください!!

Posted by マイナビ薬剤師 at 2012年08月17日 08:29
今日も面白いブログ書いてください!
Posted by マスターカード 即日発行 at 2012年08月21日 09:54
夜分に失礼いたします。
更新頑張ってください!
Posted by 美顔器 にきび at 2012年09月01日 03:16
楽しい週末をお過ごし下さい。
Posted by 総合診療科 看護師 求人 at 2012年09月27日 20:44
楽しいブログ更新、
今後もおまちしていま〜す。
Posted by 芸能人 愛用 美顔器 at 2012年10月25日 06:55
小春日和で気持ちがいいですね
Posted by 奈良県 ハローワーク 薬剤師 求人 at 2012年12月12日 15:21
今日もお疲れ様でした。
Posted by ミュゼプラチナム at 2013年01月09日 21:28
参考になりましたm(_ _)m
Posted by たらばがに at 2013年02月19日 06:44
楽しい日曜日を。
素敵な一日になりますように。
Posted by フェイシャルエステ 石川 at 2013年05月26日 08:43
夏本番!
楽しい休日を♪
Posted by フェイシャルエステ 徳島 at 2013年07月07日 08:59