最後の夜・・・鷺ノ宮「ペルル」
24日土曜日。午後から雨になった。6時過ぎに目黒通りで乗ったタクシーの運転手が「本降りにならないといいですけどね。」と言っていた。どうせ小降りだろうという予想は裏切られて、大粒の雨が落ちてきた。目黒駅に着いた時は、本降りとはいえないが、傘がなければ耐えられないほどの雨が落ちていた。
今日は、鷺ノ宮のバー「ペルル」の旧店舗での営業最後の日だ。多分、大勢のお客さんが別れを惜しんで訪れることだろう。この時間だと、鷺ノ宮にはちょうど開店時間の7時頃に着くはずだ。さて、どうするか。何十年来の常連さんが集まるわけだから、自分が席を一つ取るのもどうかとも思う。でも、せっかくだから挨拶だけでもしておきたいという気持ちもある。・・・まあ、鷺ノ宮に着いてから考えるかな。
土曜日の電車は比較的空いているので、この時間としては快適だ。電車に乗っている間も雨は降り続いている。鷺ノ宮に着いたのは7時5分。駅の階段を降りてみると、雨のせいもあって少し肌寒い。駅前の花屋から「いかがですか〜」という声が聞こえる。その声にかぶさるように、踏み切りの警笛が鳴り始める。・・・やっぱり、顔だけ出しとくか・・・。
店のドアが開いたままになっている。開店時間が少し遅れているらしい。看板の灯りが、辺りの暗さの中で際立っている。向かいからも人が二人歩いて来た。こちらからは暗くて顔が見えないが、「こんばんは」と声をかけてくれた。店の前でちょうど一緒になり、店を手伝っているYさんと、常連さんの一人だと分かる。店に入ると、カウンターの中では手伝いの女性のMさんが店の準備を急いでいる。
手伝いの方々は5人くらいいるのだが、それぞれ仕事を持っているか大学生なので、いつも同じ時間に来られるとは限らない。今日はたまたま、皆さん仕事の関係で時間がギリギリになってしまったらしい。それでも最後の日というわけで急いで駆けつけたようだ。カウンターの中程に座ると、忙しい中でもMさんが、お絞りを渡してくれる。そして、この前入れた「ブラックブッシュ」のボトルを棚から見つけ出して、目の前に置いてくれた。
お客さんが次々と入ってくる。最近言葉を交わすようになった常連の方。「今日は最後だっていうから、駆けつけてきたよ。」と言いながら、自分の隣に座る。お店の手伝いの方々も次々到着、カウンターの中は4人、1人は買い物。やはり最後だから皆で店をやりたいということ。いつもは手伝いの人は曜日で決まっているのだが、今日は特別。
江戸川区からのお客さんに続いて、女性客2人。小さな子供も一緒だ。次に鷺ノ宮駅前の居酒屋「満月」の若い二代目。「今日、店は?」「後で行きます。」「親父さん、元気?」などと声をかけられている。ドアが閉まったと思ったら、すぐに開くという状態。釣りのセミプロのKさん。自分で釣った魚のお刺身を持って入ってくる。きれいに大きな皿に盛られている。Yさんの奥さんと息子さん。常連のKさん・・・どんどん増えていく。カウンターの後ろのテーブル席にも人が座り、満席。皆でビールを注ぎあったり、何度も乾杯する。
そんな中で、お医者さんのS先生と久しぶりに会うことができた。患者さんのために日曜日の午前中も診療しているという、とても優しく立派なお医者さんなのだ。S先生はいつもシャブリを飲んでいる。「シャブリが一番美味しいと思うんだよ。」といいながら、ワイングラスを店の人にもらい、自分にもすすめてくれる。ありがたくいだたく。よく冷えていて美味しい。「美味しいです。先生!」
4年くらい前だっただろうか。ペルルのドアを開けると入り口近くの席に、S先生と年配のご夫婦が一緒に座って、やはりシャブリを飲んでおられた。カウンターの中にはマスターが一人。S先生のご両親が、ぜひペルルのマスターに挨拶したいと北海道から鷺ノ宮にいらっしゃっていたのだ。お母様は背筋がピンと伸びた気品のある方だった。「いつも息子がお世話になっているお礼ができて、本当にほっとしました。」とおっしゃっていた。お父様は大人しそうな優しそうな方で、その様子をにこにこと見守っておられた。その様子を見ていると、本当に素晴らしい親子だなあと感じた。
「S先生はペルルにはいつ頃から通っているんですか?」と聞いてみた。「昭和49年から。」「35年くらい経ちますね。」「そう、まだ学生だったんだけどお金がなくてね。でも酒が飲みたくて・・・。それで、一番安いサントリーホワイトをキープしとくとね、つまみを食べないと氷代の200円だけで飲めたんだよね。だから、いつもこの店で飲んでた。」「へえ〜。」「でも、腹減ってね。それで、マスターにお金がないけど何か食べたいなんて無理を言ってね。そしたら、マスターがキャベツの芯を茹でて、塩を振って出してくれたんだ。柔らかく茹でてあってね。それが美味しいんだ。マスター、それ30円でいいよって。うれしかったなあ。」。
シャンパンのグラスが全員に配られる。S先生が立ち上がって、「昭和49年から、本当にこの店にはお世話になりました。感謝しています。新しい店舗でも引き続きよろしくお願いします。」と挨拶。皆で改めて乾杯した。ウイスキーのグラスと、ワインのグラスと、シャンパンのグラスが目の前にある。それぞれを飲みながら、いろんな人と話す。楽しい。
S先生は明日も日曜日の診療があるので、「もっと飲みたいけど、また。」と席を立たれた。何人かが「ありがとう。楽しかった。」「新店舗でまた飲みましょう。」といいながら帰り、何人かが入ってくる。時間は9時が近づいている。まだまだ、これから駆けつけるお客さんは多いだろう。座りきれないお客さんが出始めたところで、自分も席を立つ。十分楽しませてもらった。席は譲るべきだろう。「ごちそうさま。また新店舗でもよろしく。」・・・お勘定は500円。
店の外に出る。雨は相変わらず降り続いている。もうすぐ、この店も取り壊されて、マンションが建つという。暗い小路も明るい道になるのだろう。何度も通った小路だがもう歩くこともないかもしれない。寂しいわけではない。なぜなら、来月にはまた新しい店で機嫌よく飲んでいるのだろうから。
Posted by hisashi721 at 16:00│
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寄り道さん、こんばんは。(こう呼んでみたかった)
昨日に引き続き、コメントさせてください。
今日のお話、とっても感動しました。なぜか、うるっとして。
寄り道さんのお話は、私もその場にいるかのような臨場感が大好きです。
追伸 広島風お好み焼きのお勧めの店は、名前が思い出せないのですが、下宿していたアパートの近くにスーパーがあり、その一角に広島焼きを出しているお店がが好きでした。食品の買い物ついでにカウンターで食べるのが密かな楽しみで、学生時代の贅沢でしたね。東京には、そんなお店がないので残念です…
寄り道様こんばんは。
2CHに貼ってあったリンクから飛んできて2年、毎回更新を楽しみにしてました。
最近はその頻度が上がっているようでうれしいです。以前より肩の力が抜けた投稿増えてるようですね。あいかわらず最後の叙情的なドラマチックなエンディングにはぐっときます。
mayさん、こんにちは。
励ましていただいて、ありがとうございます。やる気が出ます。
自分の実家の近くのスーパー(「ザ・ビッグ」とか「マックスバリュー」とか)にも、お好み焼き屋さんがあります。確かに買い物のついでに寄って食べるというのは楽しみなものですよね。
そういえば東京にはそんなお店ないです。気がつきませんでした。
また、いろいろ教えてください。よろしくお願いします。
ヨシさん、こんにちは。
2CHにリンクが貼ってあるんですか!知りませんでした。
ほとんど更新しなかったのに、2年も待ってくださり、本当にありがとうございます。これからは、更新の頻度を少しずつ上げていこうと思っています。ご指摘のように、肩の力を抜くことにしました。
これからも、よろしくお願いします。
今日もお疲れ様です〜