中野駅で三鷹行き電車を待ちながら、空を見上げると月が輝いている。半月が雲をまとっているように見える。こんな時は「今日はいい日だ。」と思いたい。電車がホームに滑り込んでくる。無表情の乗客たちが降りてくる。すれ違いに電車に乗り込む。この時間は混雑しているということはないので、ゆったりとつり革につかまる。阿佐ヶ谷までは2駅。物思いに耽る暇もない。
阿佐ヶ谷駅の改札を出て、北口に。ここからバスで鷺ノ宮まで約10分だ。バスに乗る前にどこかに寄り道しようかな。最近、ご無沙汰のバー「アルフォンソ」に行くことにする。線路沿いに荻窪方面に2、3分歩く。道沿いにメニューとチラシををもったチェーン店系の店員さんが待ちかまえているが、自分が一人なのを確認すると声をかけてこない。沈黙している彼らの中を歩いていく。なんだか変な気分だ。
アルフォンソの扉を開けると、マスターがカウンターから少しだけ身を乗り出して、「いらっしゃいませ。」と迎えてくれる。カウンターからだとドアの部分が見えにくいため、こういう風に身を乗り出す形になる。それが却って、温かく迎えられている感じが伝わってきていいのだ。「こんばんは。」といいながら、入口から2つめの席に座る。カウンターには奥の席に一人客。
改めて、自分の前に立ったマスターがきちんと頭を下げながら「いらっしゃいませ。」と丁寧に挨拶してくれる。「お疲れ様でした。」と言葉を添えてもくれる。この店に通い始めてもう9年にもなるので、その言葉を聞くだけで、心から安らぐことができる。マスターが注文を待っている。「よく冷えたティオ・ぺぺを。」「かしこまりました。」
ピカピカに磨き上げられたシェリーグラスに、ティオ・ぺぺが注がれる。グラスをすっとテーブルの上に滑らせて、自分の正面に置いてくれる。「どうぞ。」「どうも。」・・・では、一口・・・キリッと冷えている。シェリーの香りが口の中に爽やかに広がる。1日の疲れが洗い流され、逆によく頑張ったなあという満足感に変わっていく。バーでの一口の酒はまるで魔法のようだ。
「最近、体調の方はいかがですか?」とマスターが聞いてくれる。「大丈夫です。マスターはどうですか。インフルエンザには気をつけてくださいよ。」「商売柄、手を頻繁に洗いますからね。予防になってます。」「なるほど。」・・・いつものように他愛もない話から始まる・・・。
もう一人のお客さんは、待ち合わせの時間調整らしい。「どこで待ち合わせですか?」とマスター。「鳥久なんです。」「席の確保が問題ですね。」・・・鳥久といえば今や阿佐ヶ谷で大人気の焼鳥屋さんだ。開店時間の前から、お客さんが店の中に座って待っていることもある。8時すぎだと、2回転目が始まった辺り。ちょっと、入るのはキツイかなという時間帯だ。
それを機に、阿佐ヶ谷のお店の話題に移る。「他にはどんなお店にいらっしゃるんですか?」とマスターがそのお客さんに問う。「前は善知鳥(うとう)に行ってましたけど、閉めちゃいましたからね。あとは燗酒屋とか彦次郎とか。」「和の感じの店が多いですね。」「そう、自分が入ると飛び抜けて若い客になってしまいます。」・・・そこに、メールが入り、待ち合わせの相手が来たみたいで、そのお客さんは、「では、お先に。」といいながら立ち上がる。
お客が一人になったので、マスターはこちらにまた移動してきてくれる。タリスカーを注文して、あとは、二人でいろいろな話。「マスターは気配りの達人ですね。どんなお客さんにも、平等に話しかけて、どんな話題にも応じることができるんだから。」「うちは、いわばトークバーですからね。」と笑顔で答える。
この店は、本当に会話が楽しい。はじめてきた時からそうだったが、マスターはお客さんの前を移動しながら、柔らかに話しかける。そして、その時話したことを忘れず、2回目に来たときに、「あれはどうなりました?」と聞いてくれる。それが嬉しくて、また来てしまうのだ。だから、何か話したかったらこの店に来るといい。必ずマスターが自分の中から何かを引き出してくれる。これを達人と言わずして何という・・・。
話題は阿佐ヶ谷の人気店。鳥久もそうだが、
燗酒屋も大変なことになっているようだ。あの雰囲気でお酒と料理を楽しめるなら、当然と言えば当然なのだが。それから、今阿佐ヶ谷で話題の豚八戒(ちょはっかい)という餃子屋さん。行列ができているということだ。かなり美味しいという話だが、あれだけのお客さんを裁くのは大変かもしれない。他店では体調を壊す店主さんたちも出てきているとのことなので、気をつけて欲しいものだ。
「マスターも気をつけてくださいよ。」「何いってるんですか。お客さん一人だけじゃないですか。」「いやいや、遅い時間はすごいでしょ。」「そんなことないですよ。じゃあ、ずっとここで飲んで確かめてください。帰しませんよ。」「じゃあ、タリスカーのおかわりを。」「かしこまりました。」
「忙しい店も、体調を壊したりして大変だけど、暇な店も困るよねえ。」「そうですね。」「マスターの理想はどんな店?」「私の理想は、店が終わったとき、あまり今日は忙しくなかったなあという印象だったのに、伝票を整理すると意外にお客さんが多かった・・・そんな店ですね。」「それはどういうこと?」「つまり、お客さんと楽しい時間を過ごしているから、忙しいと感じない、そんな店です。」「なるほど。」
「じゃあ、今も楽しいんですか?」「もちろんです。」「その言葉、嬉しいなあ。さすが達人だね。」「お客さんには、楽しいから時間を忘れてたくさん飲んじゃった、って言って欲しいですね。」「ああ、そういえばもう9時半じゃない。マスターの時間の魔法だね。」・・・マスターは何も言わずに笑ってる。ますます帰りたくなくなってしまう。・・・「じゃあ、タリスカーのおかわりを。」「かしこまりました。」・・・。
Posted by hisashi721 at 19:32│
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