2009年12月03日

創業1964年・・・新宿「珈穂音」

DSC00132新宿駅15番ホーム、午後8時少し前。総武線「三鷹」行き各駅停車に乗り換えようと、山手線から降りた。いつものように、中野駅まで行って「ブリック」でビールとウイスキーを飲むつもりだ。何事も順調に行くばかりではない毎日の中で、少々心が折れそうな日もある。今日はそんな気分だ。こんな日は、馴染みの店で一息つくに限る。

16番線ホームには電車はまだ来ていない。長い列の後ろにつくと、なんだかこの時間がいたたまれない。ほんのわずかな時間のはずなのに・・・。気がついたら列から離れ、階段を下りている。今日は、自分が自覚している以上に参っているらしい。さて、どこに行く?東口改札を出て、地下通路に向かう。新宿三丁目方向に歩いている。実は、足に任せているので、目当ての店はないのだ。

歩いているうちに、ああ自分はあそこに行きたかったのかと分かってくる。新宿紀伊国屋ビルだ。地下通路から、短いエスカレーターを上がると、紀伊国屋ビルの地下飲食店街がまっすぐ伸びている。その入り口は、右に「ファーストキッチン」、左にカレーの「ニューながい」。スパゲティー専門店の「ジンジン」やカレー専門店の「モンスナック」、焼きそばの「下町焼きそば銀ちゃん」・・・どの店のカウンターもお客さんで一杯だ。天井には「新宿紀伊国屋ビル おかげさまで45周年」というボード。1964年、東京オリンピックの年だ。さて、自分が向かうのは、さらに奥。その1964年から営業している「珈穂音」だ。

18歳で上京し大学に入った時から、このビルは自分にとって特別な存在だ。大げさに言うと、紀伊国屋書店に育てられたようなものだと思っている。いつも迷ったときや悩んだときは、このビルに来て本を買っていた。今日も、やっぱり、そんな気分だったようで、自然と足がこのビルに向かっていたのだろうか。とは言いながら、今日は鞄の中に読んでいる途中の本が3冊入っている。むしろ、お酒が飲みたい。
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ドアは開いている。「こんばんは。」と中に入る。左手奥に向かって広がるテーブル席は、ほぼ埋まっている。正面の半円形のカウンターは5席くらいあるのだが、座っているのは2人だけ。「ひとりなんで、カウンターに座っていいですか?」と尋ねると、「どうぞ、隣の席に荷物やコートを置いてください。」と右側2席を勧めてくれる。「どうも。」と遠慮なく、2席を使わせてもらう。

「キリンの瓶ビール(ラガー中580円)ください。」と注文。自分の直ぐ後ろはレジで、その横奥は厨房。お店の女性は自分の直ぐ横に立っている。すぐにビールとお通しが運ばれてくる。では、ビールをグラスに注いで一口・・・ふう、とにかく、気持ちを切り替えよう・・・という味がする。美味しい。お通しは「厚揚げとほうれん草煮」・・・厚揚げを一口・・・甘くて優しい味・・・癒されるなあ。
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お店の女性が、分厚いメニューを持ってきてくれる。この店は、食事のメニューも充実している。カウンターに座っている2人の男性は、多分食事のお客さん。ビールも飲まずにじっと座っている。名物のカツカレーやビーフシチューをはじめ、パスタやピラフもあるし、季節の刺身定食や、焼き魚、鍋物・・・。お酒のつまみの一品料理はそれこそ数限りない。「もつ煮込み(580円)ください。」と注文。暖かいメニューが嬉しい季節だ。

目の前の半円形の棚には、焼酎のボトルがずらりと並んでいる。焼酎の品揃えは素晴らしい。村尾も森伊蔵も伊佐美も魔王も、何でもある。有名な銘柄を飲む楽しみも、この店にはあるのだ。奥の方から赤い顔をした男性が出てきて、「すみません。こっち、越乃寒梅2合お願いします。」と注文。おお、越乃寒梅だ!ちなみに1合980円。
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焼酎も素晴らしいが、日本酒の品揃えはもっと素晴らしい。越乃寒梅は、ブームになってプレミアがつく前から置いてあった。友達3人と一口ずつ飲んだ記憶がある。壁にはずらりと日本酒のメニューが貼ってある。十四代も久保田も菊姫も豊盃も南も飛露喜も田酒も黒龍も・・・もう何でもある。
最近、日本酒を飲んでいないが、これだけ揃っていたら、んもう、飲みたくなるでしょ。
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煮込みが届く。一口・・・ふわ〜、暖かい。この店の煮込みは、本当に丁寧に作られている。味は上品な甘みがまず感じられ、それから、煮込まれた野菜ともつの味が優しくその甘みを包み込む・・・。
美味しい!ビール、ビール。添えられたレンゲでスープを飲む。これが、また美味しい。濃い味付けではないので、スープとして飲めるのだ。ビールが進むよなあ。
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ビールが残り少なくなってきたところで、お酒のメニューをもらう。レジにいた男性が、メニューの説明をしてくれる。メニューに載せきれないほど銘柄が増えているからだ。メニューを見ているだけでも楽しいので、ビールを飲みながらじっくり選ぶ。カウンターの二人の男性は、あじ刺定食と、天ぷら定食をそれぞれ食べている。いかにも美味しそうだ。
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入り口側のテーブルのお客さんが席を立ったところで、お店の女性が、「こちらの広いテーブルにお移りになりますか?」と声をかけてくれる。「いいんですか。じゃあ、そうします。」と席を移動。4人がけの席を占領させてもらうことになる。心が伸び伸びする。じゃあ、ここでお酒の注文を・・・「すみません。鶴の友(700円)をお願いします。」「はい。」レジにいた男性が一升瓶と升に入ったグラスを持ってきてくれる。一升瓶からグラスにお酒が注がれる。グラスから升にお酒がこぼれる。たっぷりこぼしてくれて、「どうぞ。」「どうも。」
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では、一口・・・うわぁ、なんというふくよかな香りと味なんだ。素晴らしい。この酒にほれ込んでいるという人の話を聞いたことがあるが、その気持ちわかるなあ〜。美味しい! 気がつくと、カウンターにはお客さんがいなくなっている。そこに黒いベストを着た、貫禄のある男性が入ってきて座る。そして、静かに本を読み始める。本にはもちろん紀伊国屋書店のベージュのカバーがかかている。お店の女性が、「マスター」と声をかける。男性がすっと顔を上げる・・・おお、マスターは文化人なのだ。
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「たこのから揚げ(530円)、ください。」と注文。「鶴の友」をゆっくり飲む。店の客も多くは入れ替わって、一番奥の窓際に男性の一人客。日本酒をじっくり味わうように飲んでいる。外国人男性2人と日本人女性の2人のグループ、先生と呼ばれている白髪の男性と女子大生数人のグループ。さすがに書店ビルの地下にある店だけあって、大学関係者が多い。皆さん、騒ぐわけでもなく、楽しそうに会話を楽しんでいる雰囲気。

「たこのから揚げ」が届く。たこの足が丸ごと揚げてある。レモンをかけて一口・・・さくっとした歯ごたえ・・・柔らかい!衣は薄く香ばしい。しかも、油がくどくない・・・美味しいなあ。ここの料理は本当に何を食べても美味しい。たくさんのメニューがありながら、すべて水準以上の味なのは、やはり創業45年の実力なのだ。
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さて、日本酒をもう一杯飲もうかな。今度は壁に貼られたメニューの中から選ぶことにする。少量入荷の文字に惹かれる。「すみません。秋桜(ひやおろし 780円)をお願いします。」と注文。また、レジの男性が同じように、一升瓶と升とグラスを持ってきてくれる。「このお酒は年に一度、少量入ってくるんですよ。」と説明してくれる。広島の酒だが、初めてだなあ。どんな味だろう。一口・・・こ、これは・・・すっきりしているのだが、そのすっきり度がすごい。さわやか過ぎる・・・これは日本酒なのか・・・別の飲み物みたいだ。お、美味しい!
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時々、外の通路を歩く人々を眺めながら、じっくり飲む。いい酒は、本当に飲み干すのがもったいない気がする。味の記憶を刻み付けたい、そんな気分になるのだ。物思いにふけるのさえ、もったいない。

惜しみつつ飲み終えて、今日はここまで。席を立つ。「ごちそうさま。」レジの男性に「お酒、美味しかったです。」と告げると、「ありがとうございます。」と笑顔で答えてくれる。

店を出る。地下通路まで戻る。飲食街は、店じまいが始まっている。階段を下りて、地下通路に入り、人波の中を流されるように歩く。1時間ほど前、この通路を逆に歩きながら感じていた気分が、今は違うものになっている。今日も、やはりいい一日だったと思いたい。かけがえのない一日。大切なものを見失わないようにしなければ。自分の気分を引き立てるように、足を速める。
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