東京は朝から冷たい雨が降り続いている。夕方になって、風も加わり、傘をさして歩いていても、コートが濡れる。その上、傘が風にあおられて歩きづらい。駅について電車に乗ると、やっとほっとする。こんな日は、どこか遠くに行こうなどとは思えない。おとなしく帰るべきなのだろう。
しかも、今日はちょっと重要なものを持ち帰っている。なくしたら大変なものだ。酔っ払って置き忘れたたら進退にかかわる(怪しいものじゃありません)。気が重くなる。今日はどこにも寄らずに帰ろうとほぼ決めて、電車に揺られる。新宿を過ぎる。なんだか落ち着かない気持ちになる。
高田馬場駅到着。山手線を降りて、ホームから街を見ると、相変わらず寒そうな雨が降っている。
雨が降ると行きたくなるバーが高田馬場にあった。カウンターと古ぼけた椅子。優しい眼差しのマスター。懐かしい。その店に行くときは、決まって雨で、いつも傘を持っていたなあ・・・。その店の名は、「ブロンクス」という。
「ブロンクス」のことを思い出したら、バーに行きたくなる。それで早稲田口改札を出て、雨の中をブロンクスのあった方向に歩き出す。ガード横の横断歩道を渡って「さかえ通り」に入る。少し歩いて、ゲームセンターの角を曲がって、小路を川の方に向かって歩く。その右側のビルにブロンクスはあった。今は違う店が入っている。名前からしてたぶんスナック。
この道をもう少し歩いて川の傍に行くと、マンションの1階にバーがある。その店を頭に置いて歩いてきた。バーの看板が見える。「アウトサイダー2」という名のバーだ。傘を閉じて、雨に濡れた手で木の扉を押して店に入る。「こんばんは。」と声をかけると、カウンターの中から女性のバーテンダーさんが顔を上げる。「いらっしゃいませ。」笑顔で迎えてもらう。時間は午後8時15分。
店は広い。前方後円墳のような形のカウンターは20人近く座れそうだ。川を眺めながら飲める窓際のテーブル席が2つ。入り口横の7、8人用の大きなテーブル席もある。先客はいないので、一体どこに座ったらいいのかと少し迷う。「よろしかったら、こちらの席に。」とカウンターの真ん中の席をすすめてもらう。その席に決めて、かばんを隣の椅子に置く。そして、重要なものが入ったケースをその隣に・・・ちょっとドキドキする。飲み過ぎるわけにはいかないぞ。
「どうそ、コートは後ろのハンガーに。雨で濡れたんじゃないですか。外は寒かったでしょう。」と優しい言葉をかけてもらう。コートを脱ぐと、雨でしっとり濡れている。ハンガーにかけて、改めて椅子に座る。カウンターに置いてある分厚いメニューを開く。写真つきのメニューだ。何かカクテルと一杯だけ・・・。「スクリュードライバー(950円)を、お願いします。」と注文する。
カウンターには小さなキャンドルが置いてある。それが揺れるのでちょっと幻想的だ。壁には、小さなプロジェクターから映画が映し出されている。とはいっても見せるためのものではなく、雰囲気を作り出すためのもので、映像も薄く、音声もない。映画は「明日に向かって撃て」だと思う。ロバート・レッドフォードが何か言っている。BGMは懐かしのアメリカンポップス。とてもいい雰囲気だ。
スクリュードライバーが届く。一口・・・オレンジジュースの酸味がさっぱりとして、いい感じ。美味しい。「いいお店ですね。」と女性に話しかけてみる。「ありがとうございます。」「アウトサイダー2ってことは、1もあるんですね。」「ええ、明治通りに近い早稲田通り沿いにあります。」「というと・・・。」「早稲田松竹という映画館をご存知ですか?」「ええ。渋い名画座ですよね。」「そうです。その向かいのビルの2階です。2階なので、なかなか気がついてもらえないんですけど。」「ああ、わかりました。今度行ってみます。」
「この近くにブロンクスというバーがあったでしょう?」と聞いてみる。「ええ、いいお店でした。私も店が終わったら、よく行ってましたから。あちらのマスターもこの店に飲みに来てくださったりして・・・。」「閉店は残念でしたね。」「ええ、身体がもともと弱い方で。時々お店を休んだりしてましたから・・・。私も閉店してしまったので、どうしたのかなと思っていたら・・・お客さんから、聞いたんですよ。びっくりしました。」・・・すべてを悟る。そうだったのか。マスターの優しい顔が目に浮かぶ。金田さん。本当に優しい方だったなあ。
野方のバー「
ピュア」にも、来られたことがあるらしい。ピュアのマスターのかつてのお弟子さんでもあったそうだ。そんな話をピュアのマスターに聞いたときは、ちょっと驚いた。「それで、その野方のバーは?」と女性。「ええ、昨年閉店しました。」「あら、そうなんですか。」
このまま帰るのが惜しくなって、もう一杯飲むことにする。シングルモルトウイスキーにしようかな。「グレンモーレンジ(950円)をオンザロックでください。」と注文。BGMは「ヘイ、ポーラ・・・」と語りかけるような歌声。外は雨。静かに過ぎる時間。「グレンモーレンジ」が届く。一口・・・独特の甘い香り・・・南国のフルーツのような華やかさと、後に続くスパイシーな味わい・・・美味しい!グレンモーレンジとはゲール語で「静かな渓谷」という意味らしい。今の雰囲気にぴったりだ。
サラリーマン風の男性3人組が入ってきて、窓際のテーブル席に座る。それぞれカクテルを注文。カウンターの中の女性がちょっと忙しくなる。シェイカーを振る姿が凛々しい。さて、これを機に席を立とうかな。この居心地のよさに甘えて、長居してしまわないうちに・・・。「ごちそうさま。今度またゆっくり飲みに来ます。」と声をかける。「そうですね。本当にまた、ごゆっくりと飲みにいらしてくださいね。」と答えてくれる。
鞄とケースを持ち、コートを着て、外に出る。気温も低く、雨は相変わらずだ。傘をさして歩き始める。ブロンクスのあったビルの横を通り過ぎるとき、ちょっと寂しくなる。雨の日には、またこの道を歩きたくなるのだろうと思う。
東京都新宿区高田馬場3-1-5 サンパティオ高田馬場119
03-5389-6755
Posted by hisashi721 at 17:19│
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