新宿駅の西口改札を出て地下道を歩いていると、すれ違う人の多くが濡れた傘を持っている。目黒では雨の気配はなかったが、どうやら雨が降って来たらしい。まあ、天気予報通りではあるのだが・・・。小田急ハルク地下入り口横の階段を上がり地上に出る。午後6時20分、暗い舗道が雨で光っている。
傘は持っていない、、それほど強い雨ではないので、すぐそばの店まで雨の中を走る。「ボルガ」まで走って2分。入口横の焼き台には人影がない。木のドアを開ける。カウンターの中のママさんがこちらを見る。「あら、いらっしゃいませ。まだ雨降ってる?」「ええ、そんなに強くはないですが。」「そうなのね。中野はすごい雨だったけど。」「そうなんですね。」・・・そんな話をしていると、3代目のお兄さんの方(兄弟で店を継いでいる)が、裏のスペースから戻って来て、「カウンターにどうぞ。」と迎えてくれる。
前にも書いたのだが、この店には表、裏、2階(今は閉鎖中)とスペースがある。裏には予約のお客さんが何組か入っていると思われるが、表からは見えない。表(入り口前)にはテーブル席が4つとカウンター席。テーブル席には2人客が3組。カウンターには誰もいない。いつもなら一番奥のピンク電話の横の席に座るのだが、なんとなく今日は一番手前の席に座ろうという気になる。ママさんが「いつもの席じゃないんですね。ここは入り口近くなので落ち着かないでしょう。」と意外そうに言う。「たまには違う席もいいでしょう。」と答えながら座る。
お通し(無料)と箸、おしぼりが届く。では飲み物の注文を。「すみません。黒生ビール(550円)をお願いします。」山小屋風の店内はとても落ち着く。ママさんが「この雨で桜はどうでしょうね。」と言う。「目黒川の桜はまだまだ見物客で賑わってましたよ。」「じゃあ、この週末まで大丈夫ですかね。」「多分。」・・・黒生ビールが届く。では、一口・・・よく冷えてる・・・普通の生ビールよりコクがあるのがいいよなー。美味しい!
「冷奴(550円)ください。」と注文。予約客が次々入って来て、裏の方に案内されいく。忙しいだろうなあ。スペイン人の男性店員さんが裏から出てきて、注文を伝えている。この店も随分店員さんが変わった。数年前まで二階や裏や焼き台を仕切っていたベテラン店員さんはもういない。厨房の女性ベテラン店員さんもいない。2代目のマスターも亡くなって1年半・・・。冷奴が届く。この店の豆腐は美味しい。たっぷりのネギとショウガがとても合う。一口・・・これこれ、シンプルだが美味しい。黒生、黒生。
お客さんの顔ぶれも変わった。この店に来るといつも同じ面々が飲んでいて、妙な安心感があった。開店時間の5時ちょうどに入って来るお客さんがいた。仕事をリタイアされて、趣味の俳句や船旅を楽しんでおられるとのことだった。誰にでも気さくに話しかけて、話を盛り上げていた。この方と話すために店に通っているというファンもいたくらいだ。80歳を間近にひかえたたころから、毎日が週4日になり、3日になり・・・。そしてコロナ禍。それでも再開後は週に1日は来られていたが、それも途切れてしまった。席はいつも決まってピンク電話の横。自分は今いつもこの席に座らせてもらっている。
「もつ焼き盛り合わせ(5本550円)を塩で、それから酎ハイ(550円)をお願いします。」と注文する。酎ハイは程なく届く。では、一口・・・濃い目で、スッキリ。いつもの味だ。美味しい。長年、安定した味に親しんでいると、同じ空間で過ごした人々を思い出してしまう。いつでも会えると思っていても、ある日突然会えなくなってしまう。それも一生。
テーブル席の一つには年配のご夫婦。ご主人が「すみません。注文の追加いいですか?」と声を掛ける。3代目が注文を取りに行く。「おにぎりをお願いします。それから酎ハイもおかわりを。」「わかりました。」「それと、ひとつお願いがあるんだけど、いいですか?」「なんでしょう。」「兄がいつも座っていた席で、写真を撮りたいんだけど・・・。」「ああ、構いませんよ。シャッターを押しましょうか。」
ご夫婦が席を立ってカウンターに向かう。ピンク電話の横の席に並んで座り、グラスを持ってポーズをとる。お兄さんって・・・。写真を撮り終えて、実は、という話になる。やはり、あのいつも来ていた方の義弟さんだった。奥様が実の妹。「お酒が好きでね。この店に来て二人でお酒を飲むのが一番の供養だと思って、ずっと来たかったんですよ。」…言葉もない。
酎ハイをグイグイ飲み干して、「酎ハイ、おかわりお願いします。」・・・酎ハイとやきもつ盛り合わせが届く。盛り合わせの1本を口に運ぶ。相変わらず美味しい。酎ハイを飲む。この組み合わせがとてもいい。店は変わらない。人だけ変わる。この時間を大切にしなくてはと心から思う。
さて、今日はここまで。考えることが沢山あるような気がする。ママさんが「雨やんだみたいに見えるけど、どうでしょう。」と言う。「どうかな。でも傘をさしてない人もいますね。」と答える。「いつもの席、今日だけは空けてくれって、ご夫婦のお兄様の思いが伝わってきたのかしら。」「なんとなく、今日はこっちの席に座りたかっただけですよ。」「足元に、お気をつけて。」と送られる。
外に出る。霧のような雨が降っている。何かを吹っ切るように駅に向かって走る。
東京都新宿区西新宿1丁目4−18
03-3342-4996
Posted by hisashi721 at 10:33│
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