2年ほど前のことになるだろうか。新宿西口思い出横丁の「藤の家」に1人の女性客が来るようになった。スタイルが良くて、美人、さらに不思議な雰囲気を持つ女性で、いつも入り口近くの席に座り、外を見ながらハイボールを飲んでいた。耳には常に赤いイヤホンが入っていて、他の客から話しかけられるのを拒んでいるようにも見えた。
話をするのはママさんだけで、他の客はそのやり取りを聞いているわけなのだが、とても明るい様子で、これならちょっと話しかけてみようかなという気にさせる。それで、何人かが話しかけてみたようなのだが、そっけない返事の後、そっぽを向かれてしまい、あえなく撃沈してしまったという。
自分は2度ほどこの女性を見ている。1度目は隣に座ったのだが、外を見ながら飲んでいるので、誰か人を待っているのかなと思った程度で、あまり気にすることもなかった。2度目はちょうど入れ替わりのタイミングで、ママさんが「気をつけて帰ってね。これからどこかに寄るの?」と声をかけると、「近くにいい立ち飲み屋さんを見つけたので、寄って帰ります。」と答えていた。で、彼女が出て行き、自分が座る。他に客はいない。「今の女性、最近よく来てくれるのよ。」とママさん。「ああ、前に隣に座ったことがあります。不思議な雰囲気の方ですね。」「この前、浴衣姿で店に来た時は、他のお客さんが落ち着かなくなっちゃってね。」「ぷっ、目に浮かぶようです。」
何日か後、自分が思い出横丁の柳通りを通っていると、「晩杯屋」の入り口近くで、飲んでいる女性がいた。あれ、藤の家で会った人だ。なるほど、近くの立ち飲み屋ってこの店のことだったのか。でも、自分にはチェーン店にはあまり入りたくないなという先入観もあり、そのまま通り過ぎただけだった。夏が過ぎ、その女性はこの界隈ではもう見ることは無くなった。
去年あたりから、同僚の女性からチェーン店である「四文屋」の魅力を聞き、行ってみたら気に入ってしまったということもあり、いつも満員の「晩杯屋」はどうなんだろうと思うようになった。ネットで調べてみると、いつでも、どこでも1人で飲める」大衆酒場の原点を目指しているとのこと。最近、1人客お断りという店が増えてきたことに違和感を感じていた自分は、行ってみたいと思うようになった。
4月に入って、次第に仕事も忙しくなり、早めに職場を出るということができなくなったこの頃、帰り道にさっと短時間で飲んで帰れる店がいい。それで何度か思い出横丁の「晩杯屋」の前に立ったのだが、入り口から溢れんばかりの客。客同士の肩が触れ合うほどの状況で入店を諦めていた。今日(12日)も一応、店の前に来てみたものの、同じ状況。諦めて帰ろうとすると、脇から小柄な女性が店の中に突進していく。空いている場所があるのだろうか。外からは満席に見えるのだが・・・。思わず自分もその女性の後について店の中に入る。コの形のカウンターには入り込む余地はなさそうだ。女性はなんとかちょっとした隙間を見つけて入り込んだようだ。カウンターの後ろにテーブルが二つあるのだが、そこにも客が立っている。なんとかそこにスペースはないかなと見ていると、カウンターの中の店員さんから声が掛かる。「お一人様、一番奥が空いてます。」みると、確かにコの字の上の横棒の一番左に0.5人分の空きスペースがある。お客さんたちの背後を回り込んで、そこに向かう。
奥の壁にくっつくように、少し身体を斜めにして、そのスペースに嵌まり込む。隣の男性客はちょっとだけ迷惑そうな表情になる。まあ、そうだよな。鞄を足元に置いて、「生ビール(490円)をお願いします。」と目の前の男性店員さんに告げる。「55番さん、生ビール!」とその店員さんが、飲み物を作っている店員さんに向かって叫ぶ。料理の注文は、カウンターの上にある小さな紙に書くことになっている。その紙の位置が隣のお客さんの前にあり、その周りには料理が並んでいるので、取りにくいなあと思いつつ、ちょっと頭を下げながら、手を伸ばす。
メニューもまたさらに遠くにあるので、ネットで調べた時にチラッと見た記憶のある、煮込み(150円)とレバフライ(190円)を用紙に記入し、それぞれ数量を1と記す。カウンターの上の貼り紙に「本日のおすすめ」というのがあって、色々な刺身のメニューが書いてある。その中からメダイ(250円)を選んで記入する。とりあえず、これくらいでいいかな。ちょうど店員さんが生ビールを届けてくれたので、その紙を渡す。
それにしても狭い。隣のお客さんが、4つくらい皿を並べているのでさらに狭くなっている。でも、端っこなので、その分気が楽だし、揚げ物を主に担当している店員さんも近いので注文も通りやすい。席によっては、なかなか声が店員さんに届かず、声を張り上げている人もいる。とはいえ、騒ぐ人もなく、店のルールに皆さん淡々を従って飲んでいるので、その意味では快適ともいえる。
最初に届いたのは刺身。刺身担当の店員さんがいて、魚を捌いてくれるのが見える。ちょうど刺身の注文が少なかったタイミングだったので、自分のがすぐに届いたというわけだ。写真を撮ろうと思ったのだが、あまりに狭くて腕を曲げるのが難しく、苦しい角度になってしまう。では、生ビールを一口・・・値段が安いのでさぞや量も少なめなのではと思っていたが、かなりの量がある。ああ、美味いなあー。今日も忙しかったけど、なんとか乗り越えた。時計をみると午後7時40分。
メダイの刺身を一口・・・こちらも予想外の量。おお、美味い、美味い。しっかりとした身に新鮮さを感じる。淡白だが脂の旨みをしっかりあって、満足だ。毎日市場から仕入れた鮮魚を捌いて提供するという方針が素晴らしい。しかも250円(税込)って凄過ぎる。肩触れ合う空間もそれはそれでいいもの。そう感じ始めている。
隣のお客さんも、その隣のお客さんも次々と料理を注文している。エビフライも美味しそうだし、納豆オムレツなんかもそそる。みんな、この店のファンなんだな。レバフライが届く。置けるかなー。皿やグラスの配置を変えて、なんとか収まった。パズルのようだなあ。では、芥子を多めにつけて、レバフライを一口・・・刺さっている串を持って、丸いフライの端っこを齧る。ソースの味と油が染みたコロモ、そしてレバー特有の風味が合わさって・・・うめー。ビール、ビール。
では、次の飲み物を・・・酎ハイとホッピーとで少し迷う。レバフライにはホッピーかなと判断し、忙しそうにしている目の前の店員さんに「白ホッピーセット(430円)をお願いします。」と注文する。「55番さん、白ホッピーセット!」と注文が通っていく。生ビールのからジョッキを店員さんに返して、ホッピーセットの置き場を確保する。
白ホッピーセットが届く。なんとなく自分の空間が広くなったような気がする。隣のお客さんが少しだけ左に移動したようで、0.5人分が0.8人分くらいになっている。ホッピーを焼酎と氷の入ったグラスに注いで、一口・・・爽やかで穏やかな味・・・レバフライを一口・・・うん、この濃い味がホッピーとよく合う。美味い、美味い。
煮込みが届く。豆腐入り。葱がしっかりかかっているのもいい。一口・・・美味い!なんというか、濃過ぎず、甘過ぎず、素材の味が生かされた味。美味しいなー。量も十分だ。ホッピーが進むなあー。ホッピーの残量からすると、中を後2杯注文しないとな。あまり遅くならないように、明日の朝も早いから・・・「すみません。中(焼酎250円)をお願いします。」と注文する。
中が届く。2杯目のホッピーを作って、飲み始める。他のお客さんにつられて、料理の注文もしたくなるけど、まだまだレバフライも煮込みも残っている。これ以上注文すると、酒もさらに注文してしまうことになってしまう。ここはサクッと行かなくては。壁にもたれかかりながら飲んでいるのだが、それが気持ちよくなり始めている。なんか改装前の渋谷「富士屋本店」にいるような気になる。それは目の前のフライヤーのせいだろうか。それともカウンターの雰囲気だろうか。
中(250円)をさらに注文。この雰囲気の中でもう少しだけ飲んでいよう。この店で飲んでいた女性を思い出す。藤の家では入り口近くの席から思い出横丁の仲通を行き交う人をずっと見ていた。誰を待っていたのだろう。思い出横丁で飲んでいる様々な人たちにはそれぞれのドラマがある。自分には?
飲み終えて、目の前の店員さんに「会計をお願いします。」と声をかけて、入り口近くのレジに向かう。会計を終えて、外に出る。暖かい夜だ。外国人観光客がスマホで動画を撮りながら歩いている。人通りで混雑した通りを西武新宿駅に向かって歩く。ふと、誰かを待ちながら、飲む酒ってどんな味がするのだろうと思う。
東京都新宿区西新宿1−2−8湊屋ビル1F・2F
03-5989-0360
Posted by hisashi721 at 13:29│
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