5月になった。連休前の木曜日(2日)、細かい仕事もあれこれあり、忙しくもあったが、これを乗り切れば連休という意識が働いてか、普段よりもテキパキと仕事が進んだような気がする。午後5時30分、職場を出る。曇り空で肌寒さを感じるものの、やはり春らしい気持ちよさもある。すっかり新緑の季節になった並木道をバス停に向かう。
バスで目黒駅に到着。目黒駅の混雑ぶりは驚くほど。目黒川の桜が満開だった時よりも人が多いような気がする。人混みを縫って、改札に入り、ホームに向かう。山手線外回り電車は予想通りの混み具合。なんとか掴むことのできた吊り革が救い。渋谷駅で多くの人が降りて一息つく。新宿、高田馬場と過ぎる。今日は「池袋」に向かっている。
池袋到着。改札を出ると、立ちすくんでしまう程の人混み。北口に行きたいのだが、そんな自由は許されないという物凄さ。西口に流れる人々の中に入ってそろそろと進むのが精一杯。やっと西口に出る階段を上り、地上に出る。北口方面に向かい、線路沿いの道を歩く。「伯爵」というレトロな感じの喫茶店を目印に左の道に入る。それにしても行き違う人々は中国人ばかり。店も中国系の看板が目立つ。ここは日本なのかと思うような雰囲気の中、目当ての店に急ぐ。やっとビルの看板の中に店名を見つける。最も地味な看板だ。
ビルの階段を2階へ。2階のフロアには違う飲食店があり、それを通り過ぎて、廊下を奥に進むと、民芸調の店がある。木の引き戸とそれに合わせた茶色の暖簾。そこには控えめに「ウタリ」と店名が染め抜かれている。変わった店名だが、アイヌ語で「仲間」と意味する言葉と聞いている。ご主人は北海道出身ということだ。
引き戸を開ける。15人くらい座れるカウンターが奥に続いている。先客は1人。奥の席に座って、マスターと話している。マスターがこちらを見る。「こんにちは。1人です。」と告げる。「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席に。」と暖かく迎えてくれる。席は一つ一つ分かれているのではなく、長いベンチのように続いている。その上に座布団が並んでいる感じ。先客から1mくらい離れた場所に座る。座る時はそのベンチを跨ぐことになる。
とても落ち着いた店内だ。目の前には囲炉裏のような炭火の炉が切ってある。なるほど田舎家の炉端で酒を飲むという雰囲気になるので、こんなに落ち着いた感じになるのか。メニューは小さな黒板と短冊が頼り。値段の記載はない。「生ビール(エビス)をお願いします。」と注文する。「はい。」とマスターが答えて、サーバーから丁寧に生ビールをグラスに注いでくれる。そして小さなお盆に乗せて、炉の横からスッと届けてくれる。
では、生ビールを一口・・・エビスビールのいい香りがする・・・そして滑らかな泡とそれに続くきめの細かいビールが喉を通っていく。美味い!この雰囲気の中で飲むビールは格別。さっきまで歩いていた池袋の街とは全然違う。隠れ家酒場という言葉がこれほどピッタリとくる店も少ないのではないだろうか。マスターはお通しを奥の板場で作り始めている。
先客は地元の常連さんらしい年配の男性。その男性が調理をしているマスターに話しかけるともなく呟く。「しかし、我がチームは調子が全く出ないね。このままシーズンが終わってしまうんじゃないかな。」それにマスターが答える。「このままってことはないでしょう。阪神だって、調子の浮き沈みがあるんだし、このままじゃないでしょ。」「阪神は強いよね。我がチームはねー。」話の内容からスワローズのファンではないかと思う。
お通しが届く。お通しは2皿。一つは「イカと分葱の酢味噌和え」。もう一つは「カレイの唐揚げ」・・・美味そうだなー。では酢味噌和えから、一口・・・分葱はシャキシャキして美味しい・・・なんともイカが柔らかい・・・酢の具合も絶妙で甘味も丁度いい。美味しいなー。ビール、ビール。んめー。では、カレイの唐揚げを一口・・・おお、肉厚で子持ちだ・・・カレイの唐揚げって、身がタンパクだけに油の甘みが生きるんだよなー。こっちも美味しいなあ。
先客は、焼酎を飲みながら和牛のステーキを食べている。炭火で焼いたらさぞや美味しいことだろう。「海水の温度が上がってるから、近海の魚が獲れなくなってるよね。」と呟く。マスターが「連休明けごろから時鮭が出てくるけど、今年はダメだろうね。」と答える。「秋の秋刀魚もダメかね。」「そうだろうね。」という会話。ここで、自分も会話に加わる。「もう、まるまると太った秋刀魚は食べられないんですかね。」先客が「昔の秋刀魚は脂が乗って、太ってたよね。」と受けてくれる。「私はこの辺りの生まれなんだけど、昔は駅前もこんな街じゃなくてね。季節になると、どの家も秋刀魚を焼くもんだから、夕方は煙がずっと続いててね。」「へー、そうなんですか。」
自分も何か焼いてもらおうかな。「すみません。柳葉魚とアオリイカのゲソを焼いてください。」と注文する。実はある人から、この店の柳葉魚とゲソは格別だと聞いていたのだ。囲炉裏に炭火が用意され、その上の鉄の枠の上に柳葉魚が乗せられる。立派な柳葉魚だ。つまり北海道産の本物。そして大きなゲソが捌かれ、丁寧に伸ばされて鉄の枠の上に乗せられる。いい匂いが漂い始める。
「ここに来る道は昔と全然変わったでしょ。」と先客が言う。「そうですね。中国の街のようでした。」マスターが「昼間この辺りを歩いている日本人は私だけですよ。」と笑う。先客が呟く。「私の家はね、ここから歩いて10分ぐらいのところなんですけどね。昔は家から東横デパートが見えましたよ。その間には何もなくてね。」「東横デパート?東急系だったんですか?」「そう、今は東武デパートだけどね。」マスターが言う。「丸物百貨店も見えただろ。」「今の・・・」「パルコ。」「立教通りも何もなかったな。」想像もできない。
「すみません。ハイボールをお願いします。」短冊メニューには生ビールと梅酒とハイボールしかない。もちろん、焼酎の瓶も日本酒の瓶もカウンターの上にはあるのだが、殊更ハイボールを短冊で掲示しているところに惹かれた。ウイスキーはスーパーニッカ。おお、日本のウイスキーの中では最も好きな銘柄だ。大ぶりのグラスにアイスピックで割られた氷が入れられ、スーパーニッカが注がれる。そして、炭酸。「どうぞ。」では、一口・・・香りがものすごく立っている。炭酸が心地よく、スーパーニッカの優しい味が全てを癒してくれる。うんめー。これまで飲んだハイボールでも上位に入る美味しさ。
アオリイカゲソ焼きが届く。2cmくらいにカットされ、醤油ベースのタレがかかっている。一口・・・これがゲソ?と思うほど柔らかい!炭火で焼いた香ばしさも素晴らしい。これは美味しい。これに、ハイボールを・・・くぅー、合うなー。素晴らしい!・・・戸が開いて和服姿の女性が入ってくる。2人の客を見て、会釈。思わず、「こんにちは。」と挨拶してしまう。女性は奥に入っていき、回り込んで厨房に入る。そして改めて「いらっしゃいませ。」と笑顔で挨拶してくれる。ママさんだったか。
柳葉魚が届く。おお!この姿。いつも見ているのとは違う。赤みを帯びて、ふっくらと丸い姿。素晴らしい。一口・・・独特の香り・・・優しい味、塩の具合も良くて・・・焼き魚として最高の美味しさだ。うめー。ハイボール、ハイボール。たまりません。
ママさんが加わって、話は盛り上がる。先客は言う。「自分は寒さにも、暑さにも強いんです。」「どういうことですか?」「1年中ほぼ同じ格好で大丈夫。登山用のシャツにこの薄い上着。」「真冬でもですか?」「そう。」「夏も上着を?」「そう。」ママさんが笑う。「本当なんですよ。」・・・まじ。
2杯目のハイボールを注文。先客が会計を済ませて出ていく。「また会いましょう。」「楽しかったです。」これからまた違う店に回るそうだ。元気だなあ。客が自分1人になる。ママさんが店の説明をしてくれる。そして、「主人は北海道生まれ、私は九州なんです。北と南の出会いです。」と笑う。「九州はどちら?」「五島列島です。」「おお、遠い親戚がいます。それから、知り合いも何人か。えーと、豪徳寺に浜口水産という五島列島の美味しい蒲鉾屋さんがありますよね。」とつい嬉しくなって喋ってしまう。ついでは都立家政「みいらく」のことも・・・話はますます盛り上がる。
楽しく話して、美味しい料理もお酒もいただいて、ああいい時間を過ごせた。今日はここまで。「ごちそうさまです。楽しかったです。」ママさんが「五島のうどんをお土産に持って帰ってください。」と渡してくれる。そして、「お近づきになれた記念に握手してください。」と言う。ドキッ!「よろしくお願いします」と握手する。
店を出て、階段を降りる。池袋はすっかり夜の街になっている。飲食店の前では女性たちが手を振って自分を招く。苦笑しながらやり過ごして駅に向かう。何もなかった昔の池袋か。想像しようとしても、それはとても難しい。またその頃の話を聞きたいなと思う。
東京都豊島区西池袋1丁目43−7 フクズミビル 2階
03-3984-1854
Posted by hisashi721 at 17:34│
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