2004年09月23日

蓮見圭一『そらいろのクレヨン』

86126b8c.gif『水曜の朝、午前三時』を読んだときは涙が止まらなかった。人生というものについて考えさせられたから。自分の人生とはまったく重ならないのに、それでも泣けるということが不思議だった。もちろん、・・・サイモンとガーファンクルを聴いた。
『ラジオ・エチオピア』は話の内容よりも、言葉の巧みさを楽しんだ。こんな美しい日本語でメールが書けたらと思った。・・・もちろん、パティ・スミスを聴いた。

そして、短編集『そらいろのクレヨン』。表題作「そらいろのクレヨン」。「生きていくことの困難さや、死んでいくことの悲惨さに比べれば・・・」 本当にそう思わせる、見事な短編小説だ。雰囲気としては『水曜の朝、午前三時』に似ている。人生に立ち向かえるような気がしてくる。

もうひとつ「詩人の恋」。「結局のところ、人間は自分自身以外のものにはなれない。」 だから、「明日週末が訪れようとも、私は林檎の木を植える。」 そのことを分からせてくれる小説だった。・・・もちろん、ヴンダーリヒが歌うシューマンの『詩人の恋』を聴いた。


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