2004年11月15日

寿司屋の恐怖

午後二時前だった。出先でちょっと手間取ってしまい、昼ごはんを食べ損ねていた。やっと仕事も終わり、知らない街を駅へと急いだ。しかし、空腹である。住宅街を抜けなければお店もない。そこは有名な高級住宅街であり、芸能人も多く住んでいるという。店など見当たらないはずである。・・・と、そこにシンプルな暖簾が風にはためく、渋いつくりの店がある。あれっ?こんなところに・・・近づいてみると、どうも寿司屋のようだ。すっきりと掃除されている店先、暖簾のしゃれた文字、黒で統一された店の雰囲気・・・どれをとっても、高級店に違いない。値段も高そうだが・・・お昼時だし、高いといってもそれなりだろう。お腹も空いているし、入っちゃえ!
ドアを開けると、右手は黒光りするほど磨きこまれたL字カウンター。左手は寿司屋というにはモダンすぎるテーブル席。白金辺りのカフェのようでもあるが、もちろん重々しい雰囲気はある。一歩入っただけで、緊張感を誘う店だ。

先客は男女二人組。男性は六十代の白髪紳士。女性は二十代後半のモデル風。一見してワケあり風である。二人の前にはお皿が並び、昼間からお酒も召し上がっているらしい。うらやましいぞ。二人はあまりしゃべらない。店はあくまで静かだ。

カウンターの中の店主が、やっとこちらに目を向ける。注文を促しているらしい。しかしメニューというものがない。どうしよう。周りの壁を見回してみる。グレーの壁には余計なものはまったくといっていいほど貼られていない。焦る。・・・うんっ、自分の真後ろに何か貼ってあるぞ。小さな紙に「ちらし」とだけ書いてある。店の中にある文字はこれだけ。「ちらしをお願いします。」「はい、ちらしですね。」

お茶が届く。高そうな店だなあ。いくら位だろう。普通の店のちらしだと、まあ、高くても2500円くらいかな。その倍としても5000円。それくらいかなあ。それ位でも仕方ないなあ。ちらしの値段を中心に思いは巡る。落ち着かないぞ。

静かなワケありカップルが「ご馳走様」と席を立つ。入り口付近のレジでの会話・・・「今日も美味しかったよ。」「いつもありがとうございます。」「今日は無理を言って申し訳なかったね。」「いえいえ、○○さんのご注文は私にとっても、やりがいがあるので。」「そう。悪いね。」「おいくら?」「はい、12万5000円です。」「うん、ああ、この前のもあるから15万とっといて。」「ありがとうございます。」

ぬあにぃ・・・12万5000円!・・・そんなに高いのか、この店は・・・。そういえば、前にテレビの寿司特集番組で女優の秋野暢子が「銀座の高級店で、5人でワイワイ食べてお勘定したら28万円だったのよね。もうびっくり!」って言ってたぞ。存在するんだ、そんな店。一瞬逃げよう!と思うが、そんなことできるはずない。・・・そこに、「はい、ちらしでございます。」・・・来てしまった。もうだめだ。

黒塗りの高そうな器。上にのっている鮪も海老も鯛も、全てが立派に見える。余裕を見せて、お茶を一口。ここまで来て見栄を張る自分が少し悲しい。鮪を食べてみる。美味い!・・・かどうかわからない。情けないことに、値段が気になって味がわからなくなっているのだ。あの二人が12万5000円かぁ。お酒も飲んでたし、特注物だったらしいし・・・その分高いとしても、結構な値段には違いない。財布の中には2万円位入っていたはず。足りるかなあ。カード使えるかなあ。・・・やっぱり、駅前まで我慢すればよかった。ざるそばでよかったのに・・・。完全にトホホ状態である。

味もわからないまま、食べ終える。胃の中は石が入っているように重い。精神的なものである。お茶を飲み干す。食べたからには、お勘定を済ませなければならない。ついにその時がやってきたのだ。覚悟を決める。「ご馳走様!おいくらですか?」明るく、あくまでもさりげなく問う。最後の意地だ、いくらと言われても、あっそう、って感じで答えてやるぞ。財布を取り出し、一万円札二枚を親指と人差し指で軽くつかみ準備する。いざというときのために、カードもすぐ取り出せるように確認する。

「ありがとうございます。ちょうど1000円になります。」・・・へっ、せ、1000円。ひれはれひれはろ・・・。全身から力が抜ける。指を1000円札に持ちかえて取り出す。税込み1000円なのね。

どっと疲れて店を出る。なんだよ、あのワケありカップル。せっかくのちらしの味が分からなくなっちゃったじゃないか。貴重なランチタイムを返せ!などと思いながらも、やっぱり、心の底ではホッとしている自分がいるのであった。

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この記事へのコメント
寄り道さん、こんにちは、jirochoと申します。
暫く前に友人から、こちらを教えて貰い、
いつも楽しく拝見しております♪

しかし、今回は面白い!会社のデスクで思わず
声を上げて笑ってしまいました・・・・
素晴らしい文章力です。ぜひ秘訣を今度教えて
下さいね。
秋元屋さんや春さんで是非お目にかかればと思います。
その節は宜しく御願い致しますm(_ _)m
Posted by jirocho at 2004年11月15日 18:03

jirochooさんに全く同感。
いつも楽しく読み、なおかつ文章のうまさにはうならせられます。
それにしても15万払う客と1000円ですむお客がいる店って僕は思い当たらないですねえ。
Posted by あきもとや at 2004年11月16日 01:49
寄り道さん
久し振りの更新ですが、九州からお帰りですか。

先週、秋元屋さんに寄らせて頂いた時、話題に上りましたが、このBlogは本当に読ませてくれますね。
今日の記事では、思わず笑い転げそうになりました。
Posted by しんちゃん at 2004年11月16日 12:28
>jirochoさん
こんにちは、「jirochoの居酒屋大好き!」いつも拝見しています。特に「鳥芳」の記事は名作ですね。こういう風に書けたらいいなと目標にさせていただいてます。
秋元屋さんの再開日に近くに座っておられたそうですね。お話が出来ず残念でした。今度お会いしたら、よろしくお願いします。

>あきもとやさん
また、近いうちに伺います。
秋元屋さんはいつも忙しくて、ゆっくり話をするわけにはいきませんが、いつも楽しく過ごさせていただいています。
新メニュー、楽しみにしています。

>しんちゃんさん
帰ってきたものの、どうも体調がすぐれませんでした。元気になりましたので、また張り切って寄り道したいと思います(^^;
Posted by 寄り道 at 2004年11月17日 14:45
週半ばの今日は自宅です。「寄り道Blog」は自宅からしか読めないので、コメントにタイムラグができてしまいすみません。
今回の記事も、まさに「寄り道Blog」の真髄ですねぇ!
寄り道さんにとってはトホホの話を、見ているみんなには大爆笑で伝えてしまう。本当に『ドラマの世界』です。
大笑いさせていただきました。(^^)
Posted by 浜田信郎 at 2004年11月17日 22:06
「大変だったんですよ」っていう話をすると、なぜか大笑いされることに最近気がつきました(^^; そういう体験が他にもあるので、また書きますね。
Posted by 寄り道 at 2004年11月18日 09:36
こんばんわ。
いつも楽しく読ませていただいています。
それ、15万円>1500円 12万500円>1250円??なんだか八百屋の冗談のノリ、ていうことでしょうか?おつりを渡す時に50円のかわりに”50万円ね!”という。。しかし微妙な計算。1500万円、だったら明らかなのになあ。あ、でも2人で1200円なわけないか。。やっぱ12万円?
Posted by lara at 2005年03月11日 03:51
laraさん、こんにちは。
万札を数えて払ってました・・・。いやー、あの時は怖かったです。自分の心理状態の移り変わりを知ったという点では収穫があったのですが・・・。今度はしっかりと「ちらし」と味わいたいと思ってます(笑)
Posted by 寄り道 at 2005年03月11日 17:48
やっぱり目撃されていたんですね!失礼いたしました。それは、恐怖です。はは。
心理状態は味覚に影響するんですね〜〜。
なかなかできない体験ですね。。。しかし、寄り道さん、”そういう体験が他にもある”、って。。興味津々です。笑わないから、教えてください!^^
Posted by lara at 2005年03月11日 18:49
laraさんへ
トホホな体験なら、他にもいくつかあります。ブログで発表しようかどうか、ちょっと迷っていますが・・・。恥ずかしいですからね(^^;
Posted by 寄り道 at 2005年03月12日 14:39